2012年3月12日月曜日

さよなら原発パレード

鹿児島で約90団体、そして2000人以上の人が集まり「さよなら原発」とそれぞれの立場と思いでパレードが行われました。


東北ではまだまだ傷跡が癒えない中、この鹿児島では最大の想像力を使い、黙祷をささげ、そして明日へと未来へと、恐らくそれが2000人の共通する想いだったと思います。



富田 淳也談(フェイスブックのつぶやきより)
今日は3・11さよなら原発!かごしまパレードに参加した。
鹿児島中の有機農家さんから賛同の意で送っていただいた野菜を、わけーもんの会で袋詰めして販売して震災あてに寄付する活動に参加した。有機野菜1袋100円。考えられない値段での販売。それだけ思いの詰まった野菜達は、わけーもんの会メンバーによって対面販売させていただいた。
昨年はなかなか野菜作りする時間がなかったが、やはり対面販売はテンションがあがる。今年からはしっかり生産者しようと心に決めることができたと思う。
今きちんと心に決めないといけないこともある。きっとエネルギー問題もその一つだろう。日常の当然の風景は他からもたらされている物の方が多いのだから。


大竹 秀信談(フェイスブックのつぶやきより
風は強いけど天気がよくて気持ちがよいです。
昨日のことを思い返してまた書いてます。

昨日は3.11さよなら原発パレードだった。
ボクは広場のライブとパレードの歌で参加した。
本当にたくさんの人がいっしょに歩いた。
本当にたくさんの想いがいっしょに歩いた。
実際に意見交換をしたらケンカが起こってしまうくらいの様々な想いがいっしょになって歩いた。
でも、それでよいのだと思った。

さようなら、原発

これだけの共通項であんなにたくさんの人がいっしょに歩いたのだ
ここからが始まり。

原発に対して賛成の意思表示はしてないイコール反対にはならない
沈黙は同意なのだ。
人間ピラミッドの頂点で漫然と有頂天になってるヤツらにとって、
社会に垂れ流してる情報は原発推進なのだ。
それに対して無視あるいは思ってるだけで何も表示しないのは、沈黙は同意なり、それに同意してることになるってことに気がついてほしい。
それは決して原発だけのことではない。
友達との会話。職場での会話。家族との会話。恋人との会話。
その全てにおいて沈黙は同意なのだ。
沈黙する理由は簡単だ。
自分の言葉と行動に責任が生じて、それがめんどくさいと教えこまれているからだ。責任をとれるのは特別な人間だけだと教え込まれているからだ。
責任は生きている瞬間瞬間に対して各々が常に瞬間的に自然にとっているものなのだ。

沈黙は同意なり。
まったくもってダセぇよね。

言わなくてもわかるだろ?なんてのはボク等はもう何万年も前に失ってしまった力だ。
今のボク等は話さなくては。行動しなくては。表現しなくては。
何かを伝えることは全身全霊でなくてはならないんだ。
全身全霊をかけた言葉だからこそ、そこには言霊が宿るんだ。

いいかげん、気軽に気安く都合よく手に入る方法はやめようよ。
百円均一は百円均一でしかないんだよ。
大事な人には大事な方法で大事なことを伝えようよ。

そんなことを思った1日でした。



ありとあらゆる主義主張があると思います。
そしてそれは、とても大切なことであり、否定されるものでもするものでもないと。
でも「さよなら原発」という想いはそれぞれの中で本当のこと。
立場や権力を超えたところの想いだと思います。

この言葉は主義でもなく主張でもなく、僕らの覚悟の言葉として世界に刻む気持ち


さよなら原発!



パレードの最後DJが流してた音源にしびれました。

     


FRYING DUTCHMAN "humanERROR"

 http://youtu.be/Q5p283KZGa8

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