初めて臥蛇島を見たのは11年前?に諏訪之瀬島であった日蝕のプレパーティーに向かう十島フェリーの上からだった。
朝早く目が覚めたら、丁度、口之島に着く頃で、当時組んでた武者ドレッドの相方のゴヒが甲板にいて。
水平線の向こうに見えた島はなんて島なん?て聞いたら「あれは、ガジャです。ちなみに隣はコガジャジマ」と教えてくれた。それから半年くらい、遠く水平線に見えた島映だけの臥蛇島が気になって気になって(笑)
これはなんかなのかもなぁと自分なりに調べていったら、昭和45年に無人島になってしまった島だということを知った。ボクは島には島の神様がいると信じている。
島の神様がいるから島は沈まない。
隣の小臥蛇島には一度もヒトが住んだことはないけれど、臥蛇島にはたくさんの人たちが暮らしていた。
臥蛇島の島の神様はヒトが好きだったんだ。
無人島になって以来、臥蛇島にヒトの声はしなくなった。
島の神様が独りぼっちでいるのかと思うと切なくて、キモチと勢いだけのボクの話にうなずいてくれた友人と臥蛇島プロジェクトを立ち上げて10年になる。
やりたいことは何も変わってない。
臥蛇島の島の神様に何かしてあげたい、それだけだ。もちろん役場にも上陸できないものかと聞きにも行った。
危険な場所なので研究機関ならまだしも個人では許可出来ないと言われた。
こっそり上陸してる人達もいるぜ、と誘ってくれる人もいたけれど、ボクにとっては大事な島なので、行くならこっそりとではなく堂々と行きたかったらその選択はなかった。
それから、たくさんの人との繋がりが出来て、10年の時間がかかって、今回初めて臥蛇島に上陸することができた。
波を切って進む漁船の先に、臥蛇島の岩肌がはっきり見えた時は、恥ずかしながら涙が出てきた。
臥蛇島には遊びや冒険に行ったわけではなく、仕事のお手伝い人足で行ったので、初上陸の感慨に浸るヒマもなく黙々と荷物を運んだ。
荷物を運び終えて、小雨の降る中、ボクが一番やりたかったことをしに、臥蛇島プロジェクトのメンバーと宮近くにある神具をしまってある奉神のコンクリートの箱まで歩いて行った。
途中は倒れた竹やら崩れた土砂があり、箱に行くまでも藪を掻き分けた。
やっとたどり着いて、持ってきた焼酎をあたりにまいてお供えした。焼酎の香りがぐわ〜んとあたりを回って、ああ喜んでくれてるのかなぁと嬉しくなった。
ラッキーなことに2日目の上陸もあった。
行く時には虹の下に臥蛇島と小臥蛇島が見え、島に入るとものすごい快晴だった。
1日目に臥蛇島プロジェクトとしてやりたいことはだいぶやっていたので時間にも余裕があって、メンバーそれぞれに行きたいところに行くことができた。
とはいっても、周りは断崖の島だし、時間は限られているのでそんなには行けなかったけれど。
集落跡でお昼ご飯を食べる時、目の前に臥蛇島の御岳がドーンと見える。谷と尾根しかない険しい山だ。
島には野生化した山羊の群と鹿の群がいた。
食い荒らされて芝だけになった所々に芝が丸く枯れているところがあって、近づいてみるとそこには鹿の骨が横たわっていた。今でも強烈に焼き付いているのは、御岳の姿と鹿の骨だ。
御岳は、ヒトを癒してくれてる優しい自然ではなかった。「来たかったら来てもいいけど、死んでも知らんよ」ていう自然だった。自然とは本来そういうものなのだ。
疲れた心と身体を癒してくれる、どこかのパンフレットに載ってるようなものじゃない。
それでいて見放すような冷たいものでもない。
死んでしまうことすら、お前のやりたいようにやんなさい、ていうとてつもなくゴツい優しさだ。
鹿の骨。あの島で生まれて生きて、死ぬ時は群れから離れてひっそりと丸くなって、そして骨になる。
生きることとはそういうことだったのだ。どう生きるのがよいとかわるいとか、どう死ぬのがよいとかわるいとか、そんなものはない。
ただ、産まれて生きて死ぬ、命とはそれだけだ。やりたかったらやりな、自分で決めなよ、と御岳が教えてくれた。
好きなことをやろうが嫌いなことをやろうが、何をしようが何になろうが最後は骨、みんな同じなんだよ、と鹿の骨が教えてくれた。
臥蛇島はボクに、ものごとはとてもシンプルなんだよ、てことを教えてくれた。あの御岳の姿と鹿の骨の美しさをボクは忘れない。
臥蛇島に戻りたいなぁ。そうだ!言い忘れた!
夢は必ず叶う。
10年、あきらめず思い続けたら、
夢は必ず叶うよ☆